●ポータブル赤道儀という用語
2015-06-02


「星爺から若人へ」は中学生くらいを対象としています。

●Wikipediaなどに「ポータブル赤道儀の定義はこうである」と書いてあるのを見たりすると、星爺はなんともくすぐったく、また少し悲しくもなります。
禺画像]
中学2年生のときに、写真のような写真撮影用の簡易赤道儀を作りました。『天文ガイド』創刊2号めの「読者の天体写真」に入選した同級生のT君が指物師の息子で、彼からもらった木材で作った、いわゆる「ポータブル赤道儀」です。タンジェントスクリュー式の部分微動装置で極軸にはベアリングを入れてありました。
この赤道儀には「写真撮影用赤道儀」とか「ZEUS ゼウス」とか命名して愛用していました。市販の赤道儀にカメラを載せて手動ガイド撮影するよりも圧倒的に使いやすかったです。

その後の1967年に九州大分の理科の先生Fさんが、帯鉄材を曲げて作った同じような自作赤道儀を発明されて、製作記事を『天文と気象』(後の月刊天文。現在は休刊)に投稿されました。その記事のタイトルが「ポータブル赤道儀」だったのです。
生意気盛りの星爺は、負けじとライバル誌の『天文ガイド』に投稿したのですが、記事のタイトルを「写真撮影用赤道儀」にするか「全知全能の神 ZEUS」にするか父に相談したところ、自分が先に考えたにせよ優秀であるにせよ「作品は先に世に出した人が偉い。先達を尊敬して同じ名称にすべき」と叱られて「ポータブル赤道儀の自作」というタイトルで投稿しました。掲載されたのは1年後の1968年8月号で、その後20年ほど続いた「読者の工作レポート」シリーズの1回めになりました。
禺画像]
『天文ガイド』の記事は反響が大きかったようで、3年後に『天体望遠鏡の自作ガイド』という別冊に、自動ガイドのポータブル赤道儀の作り方の執筆を依頼されました(上の写真。当時18歳--笑)。
それが縁で誠文堂新光社の天文ガイド編集部に就職したら、最初に命じられた仕事が『ポータブル赤道儀の作り方』という別冊の編集でした。この類の本はよほど売れたのでしょう。
この頃にはポータブル赤道儀(略してポタセキ)の名称は天文ファンに周知されて独り歩きを始め、小型の簡易赤道儀や間に合わせの自作赤道儀のことと思われていたようでした。
禺画像]

星爺は最初の自作から50年後にポータブル赤道儀を製作・販売するようになるとは想像もしていませんでしたが、ポータブル赤道儀(と呼ばれる機材)こそ天体写真用の本式の機材であり、ふつうの赤道儀にカメラを載せる方が間に合わせの便法であると確信して設計しています。ちゃんと撮れても撮れなくても良い、お気軽撮影用のサブの赤道儀がポタ赤とは決して思っていません。
やはり半世紀前の投稿は「ポータブル赤道儀」でなく「写真撮影用赤道儀」にすべきだったかな?

株式会社輝星の運営する「SB工房」はこちらです。
[天文用語]

コメント(全2件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット